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神戸地方裁判所 平成元年(ワ)1581号 判決

原告(反訴被告)

勝本秀俊

被告(反訴原告)

郭吉子

主文

一  別紙事故目録記載の交通事故に基づく原告(反訴被告)の被告(反訴原告)に対する損害賠償債務が存在しないことを確認する。

二  被告(反訴被告)の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴・反訴を通じ、被告(反訴原告)の負担とする。

事実及び理由

(以下原告(反訴被告)を「原告」、被告(反訴原告)を「被告」という。)

第一請求

一  本訴関係

主文の第一項と同旨

二  反訴関係

原告は、被告に対し、金二九一万七六五九円及びこれに対する平成元年九月二二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、後退した自動車の後部が後ろで停止していた自動車の前部に追突した事故において、後退した自動車の運転者が、本訴で損害賠償債務の不存在確認を請求し、追突された後ろの自動車の運転者が、反訴で、自賠法三条に基づき損害賠償を請求した事件である。

一  (争いのない事実)(本訴・反訴共通)

1  別紙事故目録記載の交通事故が発生した(以下「本件事故」という。)。

2  原告は、加害車の運行供用者として、自賠法三条により、被告に損害があれば、その損害を賠償すべき責任がある。

3  被告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を負つたと主張し、原告に対し、右損害に伴う損害賠償金の支払いを求めている。

二  (争点)(本訴・反訴共通)

被告は、本件事故は極めて軽微な接触事故であるから、追突された被害者の乗員に外傷の生じる可能性はまつたくない旨を主張して、本件事故による受傷の事実を争うほか、損害額を争つている。

第三争点に対する判断

先ず、被告が、本件事故により受傷したか否かについて、判断する。

一  証拠(甲二、四、乙一、証人康義治、被告)によれば、被告は、本件事故当日である平成元年九月二二日佑康病院を受診したところ、頸椎捻挫と診断され、右同日から平成二年二月一〇日まで同病院に通院して(実日数六二日)、治療を受けたことが認められる。

右事実によると、被告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を負つたかの如くである。

二  しかしながら、他方、右一で認定の事実及び証拠(甲一ないし九、検甲一ないし七、証人康義治、原告、被告(一部))によれば、次の事実を認めることができる。

1  本件事故現場付近は、別紙交通事故現場見取図(以下「図面」という。)記載のとおり、幅員約一〇メートルの東西道路と幅員約三・九五メートルの南北道路とがほぼT字型に交差しているところ、南北道路は、北方向に一〇〇分の八の上り勾配となつている。

2  原告は、本件事故当時、南北道路を南下し、図面〈1〉の地点(以下符号は図面上の地点を示す。)で一旦停止し、一方、被告も、被害車を運転し、加害車に追従して南北道路を南下し、加害車の約一・一メートル後方の〈ア〉の地点で停止した。原告は、東西道路を左折して宮川町方面へ向かおうとしたが、加害車の西側の横断歩道を中学生二、三人とその後方から傘をさした小学生数名が東へ向かつて歩いてくるのを認め、加害車が右中学生らの通行の妨げとなるので、ひとまず加害車を後退させようと考え、南北道路が後方に上り勾配になっていることから、半クラツチの状態で後退し始め、加害車を〈3〉の地点まで後退させて、クラツチを切ろうとした時、後方で「コツン」と音がして、〈×〉地点で加害車の後部と被害車の前部とが当たつた。しかし、被害車は、〈ア〉の地点から後方に押し出されることなく、停止位置のままであつた。

なお、加害車は、車両重量が一一五〇キログラムのステーシヨンワゴンであり、被害車は、車両重量八六〇キログラムのセダンである。

3  被告は、〈ア〉の地点で被害車を停止中、加害車の後退に気が付き、追突の危険を感じて、これに対する防御姿勢を取り得る余地が十分にあつた。また、被告は、右停止中サイドブレーキを引いていなかった。

4  本件事故後の実況見分の結果によると、本件事故による被害車の損傷状況は、後バンパー右寄りに赤色塗料が約一〇センチメートルの長さで横一線に付着しているだけで、損傷の実害はなく、一方、被害車の損傷状況は、前バンパー塗料が若干剥げた程度で、実害はまつたくなく、ボンネツトを開き、損傷状況を確認したが、損傷はまつたく認められなかった。

5  最近、調査事例の分析及び各研究者の実験データから、乗用車同士の追突事故における被追突車両の破損程度と頸椎捻挫受傷の可能性及びその重症度との関係が明らかにされており、これによると、後バンパーの一部のわずかな凹損程度以下(車体変形二センチメートル以下)くらいの追突事故では、車両重量にかかわらず受傷しないものと判断されており、また、被追突車両の乗員が事故を予測した場合には、身構えるため軽微な事故では受傷することは考えられず、通常の座り方をしておれば、軽微な追突事故では、頭部や背面などをシートで打撲して治療を要する損傷が生ずることはないとされている。

6  被告は、本件事故当日の平成元年九月二二日、右手の痺れと項部痛を訴えて、佑康病院を受診し、以後平成二年二月一〇日まで同病院で治療を受けているが、初診時に撮影された頸椎のX線像には異常が認められず、右治療期間中の診療録には、頸椎捻挫についての検査や他覚所見の記載がなく、もつぱら頭痛、頸部痛、右肩部痛といつた被告の愁訴とそれに対する理学療法と同一種類の投薬の記載に終始しているところ、同病院の康義治医師が、被告の症状を「頸椎捻挫」と診断した根拠は、同医師が、X線像で頸椎に異常所見が認められず、両上肢の神経学的反射に異常もなく、なおかつ、特に交通事故を起因として頸部周辺痛または頭痛を訴える患者を、「頸椎捻挫」と診断して治療を行つていることに基づく。

7  また、被告は、昭和六三年四月二三日にも追突事故にあい、右同日から同年一一月一一日までの間、右佑康病院において、頸椎捻挫・背部打撲と診断されて治療を継続していたところ、本件事故におけると同様、同病院の診療録も、もつぱら後頸部から右肩にかけての鈍痛、頸部のつつぱり感、両手の痺れといつた被告の愁訴とそれに対する理学療法等の記載に終始していた。

8  ところで、追突事故等による車内事故損傷としてのいわゆる鞭打ち症診療に当たつては、医師は、交通事故損傷の一般的特殊性のため、自覚症状を否定し去るだけの積極的根拠を持たないこともあり、事故後は自覚症状のみであつても患者の生命や健康のため万一手落ちがあつてはならないとの観点から、患者の訴えにかなり大きな比重を置き加療を施していること、かかる場合、患者の訴えが誇大であつても、多少神経質と思われても、患者の訴えが強い場合、医師はむげに放置しておけず、治療を続けなければならないのが、医療現場の実情である(当裁判所に顕著な事実である。)。

三  右二で認定の事実を総合すれば、本件事故は極めて軽微な接触事故というべきものであり、本件事故により被告が受けた衝撃は極めて軽微なものであつて、被告は、頸部にほとんど衝撃を受けていなかつたと認められるから、この程度の衝撃で頸椎捻挫の傷害を負うとはとうてい考えられないというべきである。

そうすると、被告に頸椎捻挫との診断があつたとしても、それは、被告の愁訴のみに基づくものであり、かつ、右診断の前提となつた被告の愁訴自体の真実性には強い疑念が存在し、ひいては診断そのものに疑問があることが認められるから、右診断のみによつて被告が本件事故により受傷したとの事実を認めることはできないというほかなく、他に、被告の受傷の事実を認めるに足りる証拠はい。

四  そうすると、本件事故に基づく被告の原告に対する損害賠償請求権は、その余の点について判断するまでもなく、発生する余地のないことが明らかである。

第四結論

原告の本件損害賠償債務の不存在を求める本訴請求は理由があり、被告の本件損害賠償を求める反訴請求は理由がない。

(裁判官 三浦潤)

事故目録

(発生日時) 平成元年九月二二日午後三時三〇分ころ

(発生場所) 神戸市長田区西山町四丁目一六番一三号路上

(加害車) 原告運転の普通乗用自動車

(被害車) 被告運転の普通乗用車

(事故態様) 被害車の前部に加害車の後部が追突

以上

〈省略〉

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